女子大生の考え事

19歳女子大生、芸術を愛しています。感じたことを綴ります。拙い文章をお許しください。

映画『リリーのすべて』若干ネタバレ感想 セクシャルマイノリティの芸術表現について

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2016年公開 『リリーのすべて

 

エディ・レッドメインアリシア・ヴィキャンデル、二人の演技がとにかく繊細で胸が痛む...

 

映画初心者のネタバレ感想です。あくまで個人的な感想になるのでそれは違うんじゃない?とか誤字等々があるかもしれませんが、また未熟者ゆえご容赦願います。

この映画から、「セクシャルマイノリティの芸術表現」をどう扱うかについて考えました。

 

●あらすじ

 世界初の性別適合手術を受けた人物リリー・エルべの実話をもとにした作品。

 風景画家のアイナーと、その妻肖像画ゲルダゲルダは画家としてなかなか売れませんでした。ある日モデルが来れなくなったことで、アイナーに軽く女装させ、モデルを頼みます。女装したアイナーはリリーと名付けられ、ゲルダと共にパーティへ行き、出会った男性とキスをします。元々女性性の興味や女性としての性的欲求があったアイナーですが、そのことから内に秘めていた女性性を抑えられなくなっていき、日常的に女装するように。アイナーはゲルダのため抑えようとしますが、その葛藤から体を壊し始め、自らの性の解放と身体の修正を望むようになります。一方リリーの絵を描くようになったゲルダは、肖像画家としての名声を得ていきます。そのことに喜びますが、リリーになっていくアイナーに困惑します。ゲルダはアイナーをとても愛していたため、他の男性とキスをしたり、日常的に女装するようになったリリーを拒み、否定します。ゲルダには男性の夫が必要でした。それでもリリーを理解しようと努力し、協力します。アイナーはどの医者にかかっても精神疾患としかされませんでしたが、ゲルダの紹介した婦人科の医者は「アイナーは正しい」と、アイナーを肯定しました。その医者はアイナーに先例のない性別適合手術を紹介し、アイナーは手術を受けることを決意します。

 

●全体を通して

 この映画は画家の物語でもあるからか、映像表現がとても美しいです。どこをとっても絵画のようで、抽象表現や情景描写が多く見られました。リリーの絵が売れ、個展が開かれた時、ゲルダは「リリーは人気者」と言いますが、女装していくことでリリーは居場所がなくなり、かと言ってリリーを受け入れるとゲルダの居場所がなくなる...という対比も面白いなと思いました。アイナーの描く風景画の意味、そしてそれが描けなくなっていくことも象徴的で考えさせられました。主演二人の演技がとにかく繊細で美しく、どちらにも感情移入できる、作中通してずっと胸が張り裂けそうで映像を何度も止めました。映像作品としての美しさがとにかく魅力的です。

 

エディ・レッドメインの繊細な演技

 私は彼のことをファンタビの人とかすっごい人気俳優ぐらいにしか知らなかったのですが、本当にびっくりしました。作中、エディ演じるアイナー(リリー)は、最初はもちろん男性にしか見えませんし、初め女装した時も、男やん!って思いました。ですが、リリーとしての性が強くなっていくと同時に、アイナーはどんどん女性に見えてくるのです。本当に違和感ないぐらい。感情移入しているせいなのかもしれませんが、エディ・レッドメインさんの演技力、とにかく美しく、泣きました。ただのイケメン俳優じゃないんだなぁ。笑顔が素敵ですよね。表情が少しミステリアスなところも、人によっては感情が分かりづらいと言われるかもしれませんが、見る人に想像させる幅がある方が、リアルですし芸術的だと思います。

 

●妻ゲルダの愛

 アリシア・ヴィキャンデルさん演じるゲルダ、とにかく愛を感じました。愛とは何か、とか、考えちゃいますよねぇ、人生の主題の一つです。物語冒頭、ゲルダとアイナーはとにかく仲がいいんです。だからこそ、辛い。最初ゲルダはアイナーの女性性にどこか勘付いていて、受け入れるのかと思っていましたが、やはり難しいですよね。アイナーはゲルダに自分を受け入れてほしいと望みますが、ゲルダはアイナーに男性の夫としての役割を望んでいるわけです。アイナーはゲルダの望みを切り捨てますが、(アイナーももちろんゲルダの望みを叶えようとしますが...)ゲルダは受け入れようと努力します。最後までアイナー、リリーに寄り添う姿がとても美しいです。他の感想にて、アイナーが自分勝手すぎるという意見が見られましたが、アイナーはそれまでの人生を葛藤の中で生きてきて、ゲルダを信頼し愛しているからこそ受け入れてほしいと強く願ったのではないでしょうか...物語後半は確かに自分勝手に見えましたが、セクシャルマイノリティの理解がまだ薄かった当時、アイナーの心情を理解することはとても私にはできません。リリーのゲルダへの最後の言葉がまさにその全てを表していて、リリーはリリーでゲルダの愛に応えようとしていたのは確かです。ゲルダからすれば、アイナーが性別適合手術を受けることは、愛する夫を殺すことと同義ですから...アイナーを送り出すゲルダはとても献身的で美しく、胸が張り裂けそうになりました。愛しているからこそ、求める、受け入れる、別れる。愛の形は様々ですし、その全ては正しいはずです。

 

セクシャルマイノリティの芸術表現について

 他の感想を読んでいて、「美化しすぎている」という意見が挙げられていました。確かにそうです。というのは、史実と本作は異なっているんですね、実際アイナーが手術を受けたのは50歳手前です。純愛を描こうとして美化しすぎだ、これでは『リリーのすべて』ではない、というような意見。ここで問題なのは「セクシャルマイノリティの芸術表現」においでこの美化は正しいのか、という点です。

 

 セクシャリティについて、最近になって大きく理解が深まったように思います。SNSの影響が大きく、セクシャルマイノリティを抱えた人も発言権を得るようになり、またそれらを取り扱う作品も表舞台に出てきました。BL作品や百合作品、エッセイもそうですね、昔でしたらテレビドラマ化とかアニメ化とか、大きく取り上げられるのはありえなかったのではないでしょうか。その上でやはり美化は起こりますよね。漫画が特にそうです。どうしてもデフォルメされたキャラクター同士なので、かわいいかっこいいキャラクター同士がいちゃついてても微笑ましいだけです。世の中の偏見やマイノリティへの葛藤は恋のエッセンスで、試練を乗り越えた2人は純愛、感動...私は嫌いではありませんし良い作品には関係ないと思いますが、「本当にセクシャルマイノリティを抱える人はこういう作品を見てどう思うのか」と考えたりします。以前Twitterかなにかで女性同士でお付き合いしている方のご意見を見かけた時、「友人から萌えコンテンツ扱いされて複雑だった」というのがありました。理解してもらいたい友人に、拒否はされなくてもコンテンツとして消費されるなんて、心外極まりないでしょうね。想像してみてください、自身の恋人との悩みを、友人に物語として楽しそうに消費されるのを....。美化された作品では、差別とは違う別の偏見が生まれ、現実との齟齬が生まれます。

 

 しかし、本作品を見て私は思ったことがありました。それは、

【作品のための美化は正統で的確な手段である】です。

そう思ったのは物語序盤、アイナーが男性服の下にゲルダの服を着て、それをゲルダが暴くシーンでした。その時私は、心の隅に抵抗があることを感じました。そのシーンだけで、その他のシーンのリリーは受け入れられました。それは、ゲルダに感情移入したからか、アイナーに感情移入したからか、わかりませんが、演技だとしても「現実の人物」の「セクシャルマイノリティの性描写」に抵抗を覚えたのは確かでした。私はセクシャルマイノリティの方々を差別する気はありません。でも、当事者には慣れませんし、自分の性的嗜好において、賛同することもできません。それは私の生物的本能で、変えることのできないものです。これはきっと、多くの人が抱えています。ここから差別が生まれますが、現代において、性差別や人種差別等する人は思考の末排他的の極論に辿り着いてしまった完璧主義者か本能でモノを語る学びと理性のない者だけです。しかし、本能的な抵抗も当事者以外の身勝手な理解も、差別や偏見の一種であることは間違いないです。完璧な理解なんて、当事者以外きっと誰にもできないのでしょう。その上で、この作品について考えます。この作品のラストは「リリー・エルベは今もトランスジェンダーの活動に力を与えてる」というような(うろ覚えですみません)言葉が綴られます。本作、そしてその美化には、「セクシャルマイノリティトランスジェンダー)への理解の普及」が目的にあったのではないでしょうか。もし史実通り、リリーが50歳手前で男性を好きになりその子供を産む!と言い出したら、「ええ...」と思うでしょう。無謀ですし、同性でかつ中年の性愛を突きつけられてすぐ受容できる人なんてほとんどいないと思います。この通りでしたら、この作品は美しいものになったとは思えません。そうしたら上記の目的の達成に近付いたと思いますか?上記の目的が前提にある上、この美化は正当な手段だったのではないでしょうか。

 

 私たちは美化された作品を見て、彼らを美しい、可愛い、面白いと思います。本作品でしたら、観客はリリーのことを綺麗だと、可哀想だと、好きだと思うでしょう。それで十分じゃないですか。美化されたセクシャルマイノリティの芸術表現を受け「セクシャルマイノリティを抱える人間は、葛藤の末自分のなりたい姿になろうとしている存在」という具合に思えばいいと思います。ある種偏見と言われるかもしれませんが、気持ち悪いと思うよりよっぽどマシでしょう。そう思う人が多ければ多いだけ、セクシャルマイノリティの方の抱える葛藤は軽減するのではないかと思うのです。ただし、それだけです。それ以上は考えません。そもそも、他人の性的嗜好を想像して気持ち悪がる方が気持ち悪いです。人に言えない性的嗜好、なんやかんやあるでしょ?それを気持ち悪がられたり揶揄われたら恥ずかしいし嫌でしょ?それと同じです。もちろん、このような簡単な話じゃないと思います。けれど、「この人は自分の理想と自分の気持ちがある」そんな当たり前のことだけわかっておけば、私達も、もしセクシャルマイノリティを抱える方に出会った時、困ることないと思います。私を信じて勇気を振り絞ってカミングアウトしてくれる人に「そうだったんだ、教えてくれてありがとう」って、それだけ、心の底から言えるように、私は彼等のことを、他の人と変わらない、唯一無二のかけがえのない存在だと、尊ばれるべき美しい存在だと思っていたい。

 

映画『リリーのすべて』、考えさせられる内容ですが、差別や偏見を凌駕する、ただただ美しい映像表現を是非見てほしいです。